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知ること、感じること:狩・食

by きさらちさと

最初にお断り
掲載している写真は無断転載禁止です。また、人によっては過激と思われる写真もあるかと思いますので、苦手だと思う人はリターンしてくださいね。


何から書けばいいものか…すごく感性が研ぎ澄まされる、貴重な、そして忘れられない1日を過ごしました。


この日のことを頭の中で何度も何度も再生しています。

幡野広志さんにお会いしました。

幡野さんに連絡したのは去年の12月ごろ。前々から幡野さんの撮る写真が好きで、ツイッターのアカウントをフォローさせていただいていたのですが、ふと写真を見て、やっぱり伝えないと!という衝動にかられ、SNSという便利なツールを使って、失礼ながらも突然声をかけさせていただきました。


そして急展開ではありますが、2/3鴨猟にお供することになりました。幡野さんはカメラマンであり、猟師でもあります。



結果、猪が獲れました。



本当に奇跡のように私たちのもとにやってきたような気がします。


実は幡野さんにとって最後の猟、そして初となるイノシシ。記念すべき時に素人の私が同行させていただきました。
よろこびや感動を共有できると距離感も自然と近くなれます。初めましてだったけど、私にとって本当に大切な方がまた一人増えました。


お互い大遅刻したけど結局ピッタリだったのも、モダンだけど田舎が出ちゃってるお蕎麦屋さんでおじちゃんおばちゃんとお話ししたのも、全てのタイミングが重なって。
釣竿を忘れたのもイノシシのためだったんじゃないかというくらい笑


イノシシがひょっこりでてきてから銃声がなるまであっという間でした。やっぱりこんなにもあっけなく命は無くなる。たった一発の弾で。でもその死には意味があって。皆命を食べて生きている。


死んだイノシシの体の中は湯気が出るくらい暖かくて。そんな愛おしい命を本日おいしくいただきました。


すっごくすっごく美味しい…!!!
臭みはほどよく、レバーはまるでハツのようなパンッとした張り。
お肉を削いだ脚とお別れするのが名残惜しかった…愛着というか、、
料理をしてくれた彼と友人にも感謝です。大袈裟なことではなく、おいしく食べることが使命だと思っていたので正直安心しました。
おいしくしてくれてありがとう。一緒においしく食べてくれてありがとう。

都会に住んでると自然が遠いし、流れに飲み込まれてしまうけど、たまにこうやって立ち止まってゆっくり考える機会を与えてもらうと、感性が高まって人生が豊かなものになるなと改めて思いました。



幡野さんまた絶対に会いましょうね!

写真(1.2.5.9.10枚目):幡野広志

-------2018.02.15 追記

色々思うことがあり、追記という形で更新することにしました。自分のために残しているブログなので。

幡野さんのブログにて、最後の狩猟の記事が書かれています。幡野さんのまっすぐな文章と写真の力が色々な方を動かして、多くの方にシェアされ、広がっています。そんな出来事に私が関われたことを嬉しく思います。こんなに貴重な体験ができたことは一生の宝物だと思います。

読む人が多いほど、いろんな人がいるのは当たり前で、中には心無い言葉を投げつける人もいるのですが、そんな意見にもひとつひとつ真摯に答えている姿を見て、学ぶことが多いです。

自分が命のありがたみを知るために動物を殺めるのはおかしいという意見がありました。でも感じ、学び、感謝することを辞めては人間としてのよろこびは一体どこにあるんでしょうか。
何も動物を殺めなくても、違うことで人間として感じられるし学べるし感謝もできる という人もいるでしょうが、命というものだからこそ、重く、向き合えることだと思っています。人間は食べないと生きていけないから。
実際に一週間以上経った今も、いのちについて考えています。

コメント欄を見ていると、こうやっていろんな意見が出ることは素晴らしい。誰が正解とかはきっとなくて、自分が正解だと思えばそれがその人にとっては正解なのでしょう。

それよりも、興味を持つこともせず、過剰に食べたり、残したり。この議論に参加するどころか、議論があることすら気がつかない人に、考えるきっかけを与える記事であることに意味があると思います。

狩猟は食べるためだけではなく、コミュニケーションのひとつだということも強く感じました。獲るという意志も、感謝するという気持ちも共有する関係になります。そして同じ釜の飯を食う仲間になる。

話は変わりますが奥アマゾンのヤノマミ族は猿を狩り、そして食べます。国分拓さんのヤノマミを読み、NHKスペシャルで映像も見ました。その中のシーンで子供達が捕まえた猿の赤ちゃんと遊ぶシーンが映し出されます。当時少しぎょっとしたことを覚えています。彼らにとっては食べ物であり、可愛がる対象でもある。そこに線引きはないんです。

動物と共に生き、日常であるからこそできることなんだと。
イノシシの足がついたままのお肉を持って帰って、肉を削ぎ、骨と足になったものを見て自分が愛着を持っていることに気がつきました。同時に、この気持ちを大切にしなければと思いました。
血や、バラバラになった肉片を見て、ぎょっとするということは、それまでの過程を知らないから。

写真がある意味衝撃的にうつるのも、その前後が想像できないからだと思います。反対意見の人は一生経験することがないだろうから、わからないのも無理ないです。


子供に記事を見せられないなんて意見もありました。私はまだ子供はいませんが、将来子供ができたらこの経験をさせなければならないとさえ感じました。
人にも動物にも植物にも物にも、思いやりの心を持ち、想像力のある人になると思います。


特に結論はないです。でもツラツラとこうやって考えることは楽しいです。多くのことを学んでいます。


きさらちさと
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